三十六歌仙
「歌仙」として崇敬された三十六人の像を描き、その詠歌を書き添えた絵額

三十六歌仙仙額
「歌仙」として崇敬された三十六人の像を描き、その詠歌を書き添えた絵額。
本品は、紀州藩御用絵師狩野興甫(かのう こうほ)の絵で、詠歌は当時の公家衆三六人が一点ずつ筆を執った。
公家衆の姓名・官職を書いた付札は、紀州藩の儒臣李梅渓(り ばいけい)の筆になる。
万治三年(1660)藩主徳川頼宣公(1602~71)が、歌仙殿(拝殿)を建て、その中に奉納したもの。
江戸時代前期の絵額の三十六歌仙絵としては、保存もよく、優品のうちに数えられる。
(和歌浦 玉津島神社 和歌山県立博物館)
-
百人一首
歌聖
柿本人麿
ほのぼのと あかしの浦の 朝ぎりに
島がくれ行 舟をしぞ思ふ古今和歌集―巻九、四〇九(羈旅歌)
-
百人一首
紀貫之
桜散る 木の下風は 寒からで
空に知られぬ 雪ぞ降りける拾遺和歌集―巻一、六四(春)
-
百人一首
凡河内躬恒
いづことも 春の光は わかなくに
まだみよしのの 山は雪ふる後撰和歌集―巻一、一九(春上)
-
百人一首
女流
伊勢
三輪の山 いかに待ち見ん 年経とも
たづぬる人も あらじと思へば古今和歌集―巻十五、七八〇(恋歌五)
-
百人一首
大伴家持
春の野に あさる雉の 妻恋に
己が在りかを 人に知れつつ拾遺和歌集―巻一、二一(春)
-
百人一首
歌聖
山部赤人
若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み
葦邊をさして 鶴鳴き渡る万葉集―卷六、九一九
-
百人一首
六歌仙
在原業平朝臣
世中に たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし古今和歌集―巻一、五三(春歌上)
-
百人一首
六歌仙
僧正遍昭
たらちめは かゝれとしても むばたまの
我が黒髪を 撫でずや有けん後撰和歌集―巻十七、一二四〇(雑三)
-
百人一首
素性法師
見わたせば 柳さくらを こきまぜて
宮こぞ春の 錦なりける古今和歌集―巻一、五六(春歌上)
-
百人一首
紀友則
秋風に はつかりが音ぞ きこゆなる
誰がたまづさを かけて来つらん古今和歌集―巻四、二〇七(秋歌上)
-
百人一首
猿丸大夫
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
こゑきく時ぞ 秋はかなしき古今和歌集―巻四、二一五(秋歌上)
-
百人一首
歌聖
女流
小野小町
色見えて うつろふ物は 世中の
人の心の 花にぞありける古今和歌集―巻十五、七九七(恋歌五)
-
百人一首
兼輔朝臣
人の親の 心は闇に あらねども
子を思ふ道に まどひぬる哉後撰和歌集―巻十五、一一〇二(雑一)
-
百人一首
中納言朝忠
逢ふ事の 絶えてしなくは 中ゝに
人をも身をも 怨ざらまし拾遺和歌集―巻十一、六七八(恋一)
-
百人一首
中納言敦忠
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり拾遺和歌集―巻十二、七一〇(恋二)
-
藤原高光
かく許 へがたく見ゆる 世中に
うら山しくも すめる月哉拾遺和歌集―巻八、四三五(雑上)
-
源公忠朝臣
行やらで 山地暮らしつ 郭公
今一声の 聞かまほしさに拾遺和歌集―巻二、一〇六(夏)
-
百人一首
壬生忠岑
晨明の つれなく見えし 別より
暁許 うき物はなし古今和歌集―巻十三、六二五(恋歌三)
-
女流
斎宮女御
琴の音に 峰の松風 通ふらし
いづれのをより 調べそめけん拾遺和歌集―巻八、四五一(雑上)
-
百人一首
大中臣頼基朝臣
一節に 千世をこめたる 杖なれば
つくともつきじ 君が齢は拾遺和歌集巻五、二七六(賀)
-
百人一首
藤原敏行朝臣
秋きぬと 目にはさやかに 見えねども
風のをとにぞ おどろかれぬる古今和歌集―巻四、一六九(秋歌上)
-
百人一首
源重之
風をいたみ 岩うつ波の をのれのみ
くだけてものを おもふころかな詞花和歌集―巻七、二一一(恋上)
-
百人一首
源宗于朝臣
常磐なる 松のみどりも 春くれば
今ひとしほの 色まさりけり古今和歌集―巻一、二四(春歌上)
-
源信明朝臣
あたら夜の 月と花とを おなじくは
あはれ知れ覧 人に見せばや後撰和歌集―巻三、一〇三(春下)
-
藤原清正
あまつかぜ ふけゐの浦に ゐる鶴の
などか雲井に 帰らざるべき新古今和歌集―巻一八、一七二三(雑歌下)
-
源順
水の面に 照る月波を かぞふれば
今宵ぞ秋の 最中なりける拾遺和歌集―巻三、一七一(秋)
-
百人一首
藤原興風
契剣 心ぞつらき 織女の
年にひとたび あふはあふかは古今和歌集―巻四、 一七八(秋歌上)
-
百人一首
清原元輔
音無の 川とぞつゐに 流れける
言はで物思ふ 人の涙は拾遺和歌集―巻十二、七五〇(恋二)
-
百人一首
坂上是則
みよし野の 山の白雪 つもるらし
古里さむく 成りまさるなり古今和歌集―巻六、三二五(冬歌)
-
藤原元真
夏草は しげりにけりな たまぼこの
道行き人も 結ぶばかりに新古今和歌集―巻三、一八八(夏歌)
-
女流
三条院女蔵人左近
岩橋の 夜の契も 絶えぬべし
明くるわびしき 葛木の神拾遺和歌集―巻十八、一二〇一(雑賀)
-
藤原仲文
有明の 月の光を 待つほどに
我が世のいたく ふけにける哉拾遺和歌集―巻八、四三六(雑上)
-
百人一首
大中臣能宣朝臣
千とせまで 限れる松も 今日よりは
君に引かれて 万代や経む拾遺和歌集―巻一、二四(春)
-
百人一首
壬生忠見
恋すてふ 我なはまたき 立にけり
人知れずこそ 思ひそめしか拾遺和歌集―巻十一、六二一(恋一)
-
百人一首
平 兼盛
暮れてゆく 秋の形見に 置く物は
我が元結の 霜にぞ有ける拾遺和歌集―巻三、二一四(秋)
-
女流
中務
秋風の 吹くにつけても とはぬ哉
荻の葉ならば 音はしてまし後撰和歌集―巻十二、八四六(恋四)
百人一首
歌聖
柿本人麿
ほのぼのと あかしの浦の 朝ぎりに
島がくれ行 舟をしぞ思ふ
古今和歌集―巻九、四〇九(羈旅歌)
ほのぼのと明けてゆく「明石の浦」の朝霧の中、島かげに消えて行く、そら、あの船をしみじみと思うことだ。

- 詠
-
柿本人麿
万葉集の代表歌人。名は「人麻呂」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、歌道の世界で歌神と崇められる。
- 書
-
二条関白光平公
江戸時代前期の公家。摂政二条康道の子。正室は賀子内親王(後水尾天皇第六皇女、明正天皇同母妹)。
百人一首
紀貫之
桜散る 木の下風は 寒からで
空に知られぬ 雪ぞ降りける
拾遺和歌集―巻一、六四(春)
桜が散る木の下を吹く風は寒くはないが、空には知られていない雪、落花の雪が降っている。

- 詠
-
紀貫之
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の撰者の一人。紀友則は従兄弟にあたる。
延喜五年(905)、醍醐天皇の命により初の『古今和歌集』を紀友則らと共に編纂し、仮名による序文である仮名序を執筆した。日本文学史上において、少なくとも歌人として最大の敬意を払われてきた人物である。『土佐日記』の作者。 - 書
-
徳大寺右大臣公信公
江戸時代初期から前期の公卿。後水尾天皇から霊元天皇に至るまでの五帝にわたって仕えた。
百人一首
凡河内躬恒
いづことも 春の光は わかなくに
まだみよしのの 山は雪ふる
後撰和歌集―巻一、一九(春上)
どこを照らそう、どこを照らさずにおこうなどと春の光は差別するはずもないのに、ここ吉野の山は春の光もなく雪がまだ降っていることであるよ。

- 詠
-
凡河内躬恒
平安時代前期の歌人、『古今和歌集』撰者の一人。官人。三十六歌仙の一人。官位は低かったものの、古今和歌集の五十八首をはじめとして勅撰和歌集に一九四首入集するなど、宮廷歌人としての名声は高い。
- 書
-
八条宮忠仁親王
江戸時代前期の皇族。八条宮(桂宮)第二代。後に智忠親王と改称する。
和歌、書道に秀でていた。最大の功績は桂離宮を後世に伝える上で基礎を築いたことである。
百人一首
女流
伊勢
三輪の山 いかに待ち見ん 年経とも
たづぬる人も あらじと思へば
古今和歌集―巻十五、七八〇(恋歌五)
三輪山は神が「待つ」と申しますが、わたくしはいったいどのようにお待ちしてお逢いすることになるのでしょうか。年月が経っても訪ねて来てくださる方なんていらっしゃらないだろうと思いますので。

- 詠
-
伊勢
平安時代の女性歌人。女房三十六歌仙の一人。伊勢の御(いせのご)、伊勢の御息所(みやすんどころ)とも呼ばれた。
- 書
-
二条前摂政康通公
江戸時代前期の公卿。
百人一首
大伴家持
春の野に あさる雉の 妻恋に
己が在りかを 人に知れつつ
拾遺和歌集―巻一、二一(春)
春の野に餌を探し求めて歩きまわる雉が、妻を恋い慕って鳴き立て、自分の居場所を人に知らせ知らせしている。

- 詠
-
大伴家持
奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。小倉百人一首では中納言家持。『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多い。大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、律令制下の高級官吏として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間には中納言まで昇った
- 書
-
照高院道晃法親王
江戸時代前期の公卿。茶道、書画、和歌をよくした。
百人一首
歌聖
山部赤人
若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み
葦邊をさして 鶴鳴き渡る
万葉集―卷六、九一九
和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無くなるので、岸辺の葦の生えているあたりをさして、鶴が鳴きわたることよ。

- 詠
-
山部赤人
奈良時代の宮廷歌人。柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。
- 書
-
梶井宮慈胤法親王
江戸時代前期の公卿。御陽成天皇の第十五皇子。
清宮と称し、常修院と号する。三度天台宗座主に補せされる。茶道・花道に通暁し、書も能くする。
百人一首
六歌仙
在原業平朝臣
世中に たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし
古今和歌集―巻一、五三(春歌上)
もしこの世の中に全く桜がないとするならば、春の心は、まことにのどかでありましょう。

- 詠
-
在原業平朝臣
平安時代初期の貴族・歌人。
六歌仙の一人。平城天皇の孫。『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。 - 書
-
曼殊院良尚法親王
曼殊院門跡二十九世。後水尾天皇の猶子となる。天台座主・二品に叙せられ、大阿闍梨となる。書画・詩文・茶花を能くした。
百人一首
六歌仙
僧正遍昭
たらちめは かゝれとしても むばたまの
我が黒髪を 撫でずや有けん
後撰和歌集―巻十七、一二四〇(雑三)
我が母は、このように髪を剃るようにと願って、私の黒髪を撫ではしなかっただろうに

- 詠
-
僧正遍昭
平安時代前期の僧・歌人。
桓武天皇の子である大納言・良岑安世の八男。母は光孝天皇の乳母とする説がある。子に素性法師がいる。六歌仙の一人。 - 書
-
実相院前大僧正義尊
江戸前期の実相院門跡。足利義尋(あしかがぎじん)の男、義昭の孫。
百人一首
素性法師
見わたせば 柳さくらを こきまぜて
宮こぞ春の 錦なりける
古今和歌集―巻一、五六(春歌上)
はるかに見渡すと、緑の柳と桜の花とが混じり合って、都こそが「春の錦」の織物なのだ。

- 詠
-
素性法師
平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶・能書家として知られる。桓武天皇の曾孫。
- 書
-
円満院前大僧正常尊
江戸初期の天台宗の僧。円満院三十三世門跡。足利義昭の孫。幼少より円満院に入り同院を再興する。明正天皇の護持僧。
百人一首
紀友則
秋風に はつかりが音ぞ きこゆなる
誰がたまづさを かけて来つらん
古今和歌集―巻四、二〇七(秋歌上)
秋風に乗って初雁の声が、そら、聞こえるよ。誰の手紙を身に掛けて来たのだろう

- 詠
-
紀友則
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』撰者の一人。官人。父は宮内権少輔紀有友(有朋)。子に清正・房則がいる。紀貫之の従兄弟にあたる。
- 書
-
随心院前大僧正栄厳
江戸時代前期の僧侶。
百人一首
猿丸大夫
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
こゑきく時ぞ 秋はかなしき
古今和歌集―巻四、二一五(秋歌上)
奥山に、秋草のもみじを踏み分けて行き、鳴く鹿の声を聞くときにはさあ、秋は悲しいことだ。

- 詠
-
猿丸大夫
「猿丸」は名、大夫とは五位以上の官位を得ている者の称。古今集では「よみ人しらず」。
- 書
-
西園寺前右大臣実晴公
江戸時代前期の公卿。礼学・絵画を好み、左大臣まで上った。正室は細川忠興とガラシャの子の細川忠隆の長女・徳姫。
百人一首
歌聖
女流
小野小町
色見えて うつろふ物は 世中の
人の心の 花にぞありける
古今和歌集―巻十五、七九七(恋歌五)
色が見えていて変るものは花ですが、色が見えないで変るものは、世の中の人の心という花であることです。

- 詠
-
小野小町
平安時代前期九世紀頃の女流歌人。六歌仙、女房三十六歌仙の一人。『古今和歌集』序文において、紀貫之は、彼女の作風を、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、なよやかな王朝浪漫性を漂わせているとして絶賛した。
- 書
-
鷹司内大臣房輔公
江戸時代の公卿。父は鷹司教平。母は冷泉為満女。側室は毛利秀就の娘・竹。兄弟には鷹司信子、鷹司房子、九条兼晴。子に鷹司兼熙、西園寺実輔(西園寺安姫の婿に入る)、鷹司輔信、一条兼香がいる。
百人一首
兼輔朝臣
人の親の 心は闇に あらねども
子を思ふ道に まどひぬる哉
後撰和歌集―巻十五、一一〇二(雑一)
親の心は、闇というわけでもないのに、他のことは何も見えなくなって、子を思う道にただ迷ってしまっております。

- 詠
-
兼輔朝臣
右中将利基の子。勅撰集入集歌人。紫式部は曾孫にあたる。紀貫之・凡河内躬恒ら歌人と親しく交流し、醍醐朝の和歌隆盛期を支えた。鴨川堤に邸宅を構えたので、堤中納言と通称された。
- 書
-
大炊御門前内大臣経孝公
江戸時代前期の公卿。後水尾天皇(一〇八代)から霊元天皇(一一二代)の四代にわたって仕え、官位は従一位左大臣まで昇った。
百人一首
中納言朝忠
逢ふ事の 絶えてしなくは 中ゝに
人をも身をも 怨ざらまし
拾遺和歌集―巻十一、六七八(恋一)
逢うということが全く期待できないのならば、すっかり諦めてしまってかえって相手の無情さも自分の不運さも恨むことはあるまいものを。

- 詠
-
中納言朝忠
平安時代中期の公家・歌人。(土御門中納言・三条中納言とも。) 小倉百人一首では中納言朝忠。
- 書
-
転法輪前内大臣公富公
江戸時代前期の公卿。 おもに明正天皇・後光明天皇・後西天皇・霊元天皇 の四代にわたって仕える。
百人一首
中納言敦忠
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば
昔は物を 思はざりけり
拾遺和歌集―巻十二、七一〇(恋二)
愛情を交わした後の思慕の情の切実さを比較してみれば、逢瀬以前の心情は、物思いとは言わないほど、取るに足らないものであった。

- 詠
-
中納言敦忠
藤原敦忠(ふじわらのあつただ)。平安時代中期の公家・歌人。
管絃にも優れていた。小倉百人一首では権中納言敦忠 - 書
-
久我右大将広道卿
江戸時代前期の公卿。
藤原高光
かく許 へがたく見ゆる 世中に
うら山しくも すめる月哉
拾遺和歌集―巻八、四三五(雑上)
これほど過ごしがたく見える世の中に、羨ましいことに住み留まって、澄み切って輝いている月だよ。

- 詠
-
藤原高光
平安時代中期の歌人。右大臣・藤原師輔の八男。
- 書
-
日野大納言弘資卿
江戸時代前期の公卿(くぎょう)、歌人。日野光慶(みつよし)の子。祖父日野資勝、中院通茂(なかのいん・みちしげ) にまなび、後水尾(ごみずのお) 上皇から古今伝授をうける。
源公忠朝臣
行やらで 山地暮らしつ 郭公
今一声の 聞かまほしさに
拾遺和歌集―巻二、一〇六(夏)
そのまま先に行くことができないで、山道で日を暮らしてしまった。ほととぎすのもう一声が聞きたいばかりに。

- 詠
-
源公忠朝臣
平安時代前期に活躍した歌人。公忠は、光孝天皇の皇孫源国紀の子息で、醍醐天皇・朱雀天皇に蔵人として仕え、太政大臣藤原忠平らの信任も得ていた。
作風は穏やかで、勅撰集に私家集から多数入集している。 - 書
-
柳原大納言資行卿
江戸時代前期の公卿。茂光の男。権大納言従一位。延宝七年(1679)歿、六〇才。
百人一首
壬生忠岑
晨明の つれなく見えし 別より
暁許 うき物はなし
古今和歌集―巻十三、六二五(恋歌三)
月を残したまましらじらと夜が明けていくありあけのころの、あの人が無情に見えたあのきぬぎぬの別れ以来、あかつきほどつらいものはない。

- 詠
-
壬生忠岑
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』撰者の一人。
後世、藤原定家、藤原家隆から『古今和歌集』の和歌の中でも秀逸であると作風を評価されている。藤原公任の著した『和歌九品』では、上品上という最高位の例歌として忠岑の歌があげられている。 - 書
-
烏丸大納言資慶卿
江戸時代前期の公家・歌人。烏丸家十一代当主であり、家格は名家。
女流
斎宮女御
琴の音に 峰の松風 通ふらし
いづれのをより 調べそめけん
拾遺和歌集―巻八、四五一(雑上)
琴の音に、峰の松風の音が、似通っているように聞こえる。いったいあの松風は、どの山の尾、つまり琴の緒から美しい音を奏で出しているのだろうか。

- 詠
-
斎宮女御
平安時代時代中期の皇族、歌人。斎宮を退下の後に女御に召されたことから、斎宮女御と称された。条坊三十六歌仙の一人。皇族歌人である斎宮女御は、後の歌仙絵の中でも際立った存在感を示している。
- 書
-
飛鳥井大納言雅章卿
江戸時代前期の公家・歌人。飛鳥井家の家学である和歌に秀で、後水尾天皇の歌壇で活躍、明暦三年(1657)には後水尾院から古今伝授を受けた。また蹴鞠・書にも秀でていた。
百人一首
大中臣頼基朝臣
一節に 千世をこめたる 杖なれば
つくともつきじ 君が齢は
拾遺和歌集巻五、二七六(賀)
一節ごとに千代の寿命をこめた、この竹の杖だから、どれほど杖を突こうが、尽きようとしても尽きることはあるまい、我が君の寿命は。

- 詠
-
大中臣頼基朝臣
大中臣能宣の父。伊勢神宮の祭主。
- 書
-
中御門大納言宣順卿
江戸時代前期の公家。中御門家は、名家の家格を有する公家。
百人一首
藤原敏行朝臣
秋きぬと 目にはさやかに 見えねども
風のをとにぞ おどろかれぬる
古今和歌集―巻四、一六九(秋歌上)
秋が来たと、目にははっきり見えないけれど、風の音でハッと気付いた。

- 詠
-
藤原敏行朝臣
平安時代初期の歌人、書家。
小野道風が古今最高の能書家として空海とともに名を挙げた。 - 書
-
清閑寺中納言熈房卿
江戸時代前期の公卿、廷臣。明正天皇・後光明天皇・後西天皇・霊元天皇の四朝にわたって仕えた。
百人一首
源重之
風をいたみ 岩うつ波の をのれのみ
くだけてものを おもふころかな
詞花和歌集―巻七、二一一(恋上)
風が激しいので岩を打つ波が砕けるように、自分だけが心を千々にくだいて物思いをするこのごろだ。

- 詠
-
源重之
平安時代中期の歌人。
- 書
-
油小路中納言隆貞卿
江戸時代前期の公卿。
百人一首
源宗于朝臣
常磐なる 松のみどりも 春くれば
今ひとしほの 色まさりけり
古今和歌集―巻一、二四(春歌上)
永遠に変わらない松の緑も、春が来れば、もう一段と染めあげたように色が深くなることだ。

- 詠
-
源宗于朝臣
平安時代前期から中期にかけての官人・歌人。光孝天皇の孫。
- 書
-
園中納言基福卿
江戸時代前期の公卿。霊元天皇の伯父にあたる人物。主に明正天皇から東山天皇までの五帝にわたり仕えた廷臣。
源信明朝臣
あたら夜の 月と花とを おなじくは
あはれ知れ覧 人に見せばや
後撰和歌集―巻三、一〇三(春下)
もったいないこの夜の月と花とを、同じことなら、私よりももっと情趣を解するような人にみせたいものだよ。

- 詠
-
源信明朝臣
平安時代中期の官人・歌人。光孝天皇の裔。
- 書
-
中院中納言通茂卿
江戸時代前期から中期の公卿。歌人としても名高い。歌道・有職故実・書道・音楽など多方面に博識な人物である。水戸藩主徳川光圀とも深い親交があった。
藤原清正
あまつかぜ ふけゐの浦に ゐる鶴の
などか雲井に 帰らざるべき
新古今和歌集―巻一八、一七二三(雑歌下)
大空を風が吹くではないが、ふけいの浦に居る鶴がどうして風に乗じて大空に飛び帰らないはずがあろう
― 再び昇殿をゆるされないことがあろうか。

- 詠
-
藤原清正
平安時代中期の貴族・歌人。兼輔朝臣の子。
- 書
-
持明院前中納言基定卿
江戸時代前期の公卿。高家旗本・大沢基宿の二男。
源順
水の面に 照る月波を かぞふれば
今宵ぞ秋の 最中なりける
拾遺和歌集―巻三、一七一(秋)
小波が立つ池の水面に照り映っている月を見て、月日の数をかぞえてみれば、今宵は秋の最中の八月十五夜であったよ。

- 詠
-
源順
平安時代中期の学者・歌人。『後撰和歌集』の撰者の一人。
- 書
-
籔中納言嗣孝卿
江戸時代前期の公卿。
百人一首
藤原興風
契剣 心ぞつらき 織女の
年にひとたび あふはあふかは
古今和歌集―巻四、 一七八(秋歌上)
一年に一度だけ逢おうと誓った心は互いに無情なことだ。七夕の、年に一度だけ逢おうということは、本当に逢うことになろうか。

- 詠
-
藤原興風
平安時代の官人・歌人。官位は低かったが古今和歌集の時代における代表的な歌人。管絃をよく奏じた。
- 書
-
六条参議有和卿
六条家十二代当主。江戸時代前期の公卿。
百人一首
清原元輔
音無の 川とぞつゐに 流れける
言はで物思ふ 人の涙は
拾遺和歌集―巻十二、七五〇(恋二)
音無の川となって、とうとう流れてしまった。口に出すことなく恋の思いをしている人の涙は。

- 詠
-
清原元輔
平安時代前期の歌人・官人。深養父の孫、娘に清少納言がいる。『後撰和歌集』の撰者の一人。
- 書
-
東園参議基賢卿
江戸時代前期の公卿(くぎょう)。
百人一首
坂上是則
みよし野の 山の白雪 つもるらし
古里さむく 成りまさるなり
古今和歌集―巻六、三二五(冬歌)
吉野の山の白雪が降り積もっているらしい。この奈良の古い都は寒さがひとしおつのっている。

- 詠
-
坂上是則
平安時代前期から中期にかけての官人・歌人。宮中の仁寿殿において醍醐天皇の御前で蹴鞠が行われ、そのとき二百六回まで続けて蹴って一度も落とさなかったので、天皇はことのほか称賛して絹を与えたという。蹴鞠の名手。
- 書
-
千種前参議有能卿
江戸時代前期の公卿。後西天皇から東山天皇の三代にわたり仕えた。
藤原元真
夏草は しげりにけりな たまぼこの
道行き人も 結ぶばかりに
新古今和歌集―巻三、一八八(夏歌)
夏草はすっかり茂ったな。道行く人も道しるべとして結ぶほどにも。

- 詠
-
藤原元真
平安時代中期の歌人。
- 書
-
白川三位神祇伯雅喬王
神祇伯。
女流
三条院女蔵人左近
岩橋の 夜の契も 絶えぬべし
明くるわびしき 葛木の神
拾遺和歌集―巻十八、一二〇一(雑賀)
久米路の岩橋の工事が中途半端のまま終わったように、夜に交わした二人の愛情も、きっと途中で絶えてしまうことだろう。夜が明けるのがつらいことだ、葛城の神のような、醜い私だから。

- 詠
-
三条院女蔵人左近
平安時代中期、三条天皇に女蔵人として仕える。通称は「左近」。「小大君」は「こだいのきみ」と読む説もある。女房三十六歌仙の一人。
- 書
-
平松三位時量卿
江戸時代中期の公卿。
藤原仲文
有明の 月の光を 待つほどに
我が世のいたく ふけにける哉
拾遺和歌集―巻八、四三六(雑上)
有明の月の出るのを待っている間に、夜がたいそう更けてしまったことだ。
― 東宮の恩寵により我が身が栄達することを期待して待っている間に、すっかり年老いてしまったことだ。

- 詠
-
藤原仲文
平安時代中期の歌人。
- 書
-
裏松三位資清卿
江戸時代前期の公卿。
百人一首
大中臣能宣朝臣
千とせまで 限れる松も 今日よりは
君に引かれて 万代や経む
拾遺和歌集―巻一、二四(春)
千歳までと寿命が限られている松も、今日からは、貴君の寿命にあやかって、万代までも生き長らえることになるのだろうか。

- 詠
-
大中臣能宣朝臣
平安時代中期の貴族・歌人。『後撰和歌集』の撰者の一人。
神祇大副・大中臣頼基の子。伊勢神宮祭主。 - 書
-
花山院中将定誠朝来
江戸時代前期の公卿。主に霊元天皇、東山天皇に仕えた。
百人一首
壬生忠見
恋すてふ 我なはまたき 立にけり
人知れずこそ 思ひそめしか
拾遺和歌集―巻十一、六二一(恋一)
恋をしているという私の浮き名は、早くももう立ってしまったことだ。誰にも知られないように、心中ひそかに恋しはじめたばかりであったのに。

- 詠
-
壬生忠見
平安時代中期の歌人。壬生忠岑の子。幼名は名多、父とともに三十六歌仙の一人に数えられる。
- 書
-
勘解由小路中将資忠朝臣
江戸時代前期の公家・歌人。
百人一首
平 兼盛
暮れてゆく 秋の形見に 置く物は
我が元結の 霜にぞ有ける
拾遺和歌集―巻三、二一四(秋)
暮れて去って行く秋が、形見として残して置くものは、私の元結の霜、すなわち白髪であった。

- 詠
-
平 兼盛
平安時代中期の歌人。光孝天皇の裔。赤染衛門の父ともいわれる。
- 書
-
飛鳥井中将雅直朝臣
江戸時代前期の公卿。
女流
中務
秋風の 吹くにつけても とはぬ哉
荻の葉ならば 音はしてまし
後撰和歌集―巻十二、八四六(恋四)
秋風が吹くのに託してでもおたよりはいただけないのですね。もし私が荻の葉であれば、秋風を受けて葉擦れの音ぐらいは立てましたでしょうに。すぐお返事しましたでしょうに。

- 詠
-
中務
平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。
父は宇多天皇の皇子、敦慶親王で、親王が中務卿であったことから、この名がついている。母は、女流歌人の伊勢。 - 書
-
愛宕中将通福朝臣
江戸時代中期の公卿。愛宕家の祖。