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和歌三神を祀る「和歌のふるさと」

祭神・衣通姫尊を祀る玉津島神社は、かつて万葉歌人が憧れた「和歌の聖地」。

和歌三神、衣通姫尊の光を求めて。

ここ玉津島が持つ、不思議な力。
風光明媚なこの地で受けた感銘を、歌聖・山部赤人も歌に遺したように古来より「麗しきもの、優れたもの」を惹きつけてやまない魅力。集う美しき才能が共鳴し、まるで高め合うかのように訪れたものは皆、その魅力を増していく。
絶世の美女で「和歌三神」に称された和歌の名手、衣通姫尊(そとおりひめのみこと)が祀られている玉津島神社には、その麗しき和歌の才に惹かれたあまたの文人墨客が、古今に渡り訪れています。

聖武天皇のイラスト

聖武天皇

玉津島の美しさを見出した、時の天皇

天皇に即位した神亀元年(724)、ここ玉津島へ行幸した聖武天皇は奠供山からの景観に深く感動し、『「弱浜(わかはま)」の名を「明光浦(あかのうら)」と改め、景観を保全しなさい。春秋2回、官人を遣わして「玉津島の神・明光浦霊(あかのうらのみたま)」を祀りなさい』と命じられたといいます。

山部赤人

後世の歌人が憧れた、万葉の宮廷歌人

神亀元年の行幸に随行し、玉津島を訪れた山部赤人。奠供山から干潟を望む景観に感銘し、詠んだとされる「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(わかのうらに しおみちくれば かたをなみ あしべをさして ぬえなきわたる)」は、「片男波」の由来とも言われています。

山部赤人のイラスト
小野小町のイラスト

小野小町

和歌の神に導かれるように、
当地を訪れた小町

「小野小町は、いにしへの衣通姫(そとおりひめ)の流なり」
絶世の美女であり、極めて優れた和歌の才にも恵まれた小野小町。紀貫之は「古今集仮名序」で彼女を冒頭のごとく評したと言われています。玉津島神社境内には、小町が参詣したおりに袖を掛けて和歌を詠んだとされる、「小野小町 袖掛けの塀」があります。

豊臣秀吉

栄華を極めた、立身出世の天下人

1585年、紀州を平定した羽柴秀吉は、和歌の浦を遊覧して玉津島を参詣し、「打出て 玉津島より なかむれは みとり立そふ 布引の松」と詠みました。貴族や知識階級が憧れ続けた和歌の浦・玉津島を訪れて和歌を詠むことで、自分の偉大さを公家たちに納得させたといいます。また「和歌山」という地名は、この時に秀吉が、有名な和歌の浦にちなんで名付けたといわれています。

豊臣秀吉のイラスト
松尾芭蕉のイラスト

松尾芭蕉

俳諧連歌を慈しみ、
文学の域へと極めた聖

江戸前期の俳人。1688年、旅の途中で和歌の浦を訪れ、
「行く春に 和歌の浦にて 追付たり」(『笈の小文』)と詠みました。その句碑が玉津島神社東隣に建っています。(ただし「行く春を」と表記)
また和歌の浦は、日本中を旅した芭蕉翁の足跡で最南端の地でもあります。

夏目漱石

和歌の浦を訪れた、明治の文豪

明治の英文学者・小説家。1911年(明治44年)、講演のために和歌山を訪問し、和歌の浦に宿泊。一帯を散策、遊覧し、日本初の屋外エレベーターで奠供山に登りました。この時の体験は小説『行人』に描かれています。

夏目漱石のイラスト
漱石が見た、玉津島の風景

古書肆 紀国堂 溝端佳則さんの絵葉書コレクションより