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鹽竈神社

安産・子授けの神として篤い信仰を集める

鹽竈神社について

◉ 御祭神と御神徳
鹽槌翁尊
(しおづちのおじのみこと)
安産守護、子授け、健康長寿、漁業豊穣、航海安全
祓戸大神四座
(はらへどのおおかみよざ)
すべての罪、穢れを祓い清める
◉ 例祭日

9月16日

由緒

鹽竃神社は、かつて「輿の窟」と呼ばれた岩穴に鎮座しています。
当社は元来、玉津島社の祓所であり、天野丹生明神(現在の丹生都比賣神社)の神輿が、玉津島社へ渡御される「浜降りの神事」(丹生都比賣神が玉津島稚日女神を表敬訪問される神事)の際に、先ずこの輿の窟へ渡らせられたと伝えられています。

また当社は、古くから安産守護・子授けの神、不老長寿・漁業豊穰・航海安全の神として知られています。

主祭神である鹽槌翁尊は、「古事記」の神代篇である「海幸彦・山幸彦」の神話にも「鹽推神」として登場します。兄である海幸彦から借りた釣鈎(つりばり)を失くして困っていた弟の山彦に、「海神(綿津見神)の所へ行け」と教え、送り出した神様なのです。

その後、鹽槌翁尊に送り出された山彦は龍宮の豊玉姫と夫婦となり、安産によって御子を得られたことから、安産守護の神として多くの人々から厚い信仰を集めています。

また鹽槌翁尊は、塩が人々の食生活に重要であることを説き、各地で製塩の業を教えたともいわれています。加えて潮の満ち引きが出産に関係しており、潮の功徳により人間が生まれるとの考えに基づいて安産・子授け・長寿、その法則を人々に唱え、出生や生命を守護した神だとも伝えられています。現代風に言えば、まさに社会福祉の神様だったのでしょう。

これらの由来にある通り、布引付近を含めた当地は古くから製塩が盛んに行われ、それは大正後期まで続きました。

かの浄瑠璃三十三間堂、棟木の由来の木遣音頭には、
「和歌の浦には名所がござる 一に權現、二に玉津島、三に下がり松、四に鹽竃よ……」との記載があります。このことからも、当地の製塩業、そして名所として認識されていた様子を垣間見ることができます。

鹽槌翁尊は全国各地を廻られ、各地で数々の大きな功績を残されました。なかでも製塩の法を伝えられた箇所は全国で13箇所あり、当地和歌の浦の鹽竃はその9箇所目にあたります。
かの名高い奥州・一の宮の鹽竈はその13箇所目にあたり、この地で尊は亡くなったことから「果ての鹽竈」と呼ばれています。

当社の祭神である「祓戸大神四座」。
それぞれ、瀬織津比賣神、速開都比賣神、速佐須良比賣神、気吹戸主神は、大祓詞にもあるとおり「すべての罪穢れを祓い清める神」として知られています。丹生都比賣神が玉津島へ訪れる浜降りの際に、まずここ鹽竈へ訪れて清祓が行われたことからも、遠く神代より当地が特別な霊験であったことをうかがい知ることができます。

鹽竈神社は万葉のむかしより、数々の史実に富む景勝地である和歌の浦の入江、不老橋の前にあります。
また神社にならんで南側の小高い丘の上には、かの有名な山部宿祢赤人の歌碑があります。神亀元年、聖武天皇の玉津島行幸にお供として参加した赤人が詠んだとされる
「和歌の浦に 潮みち来れば潟を無み あしべをさして 鶴鳴きわたる」の歌詞が刻まれており、かつての和歌の浦ののどかな佇まいを今に伝えています。

これらの由緒により、当社鹽竈神社には京阪神を含めた県内外から、安産・子授け祈願や、祈願成就の御礼参りに参詣される参詣の方々が、現在も多く訪れています。