玉津島神社

和歌の神は絶世の美女

衣通姫尊(そとおりひめのみこと)とは

玉津島神社は、住吉大社、柿本神社と並ぶ「和歌三神(わかさんじん)」の社として、古来より天皇や上皇、公家、歌人、藩主など、和歌の上達を願う人々の崇敬を集めてきました。
和歌三神とは和歌の守護神で、玉津島明神と住吉明神、柿本人麻呂(※)の三柱の神をさします。この玉津島明神が、玉津島神社祭神の一柱「衣通姫尊(そとおりひめのみこと)」です。
衣通姫は第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で和歌の名手。さらに絶世の美女でした。その麗しさは、その名のとおり「衣を通して光り輝いた」といわれます。また美しいだけでなく大変心優しい女性でしたので、允恭天皇の寵愛を受け、次のような歌を詠んでいます。

我が夫子(せこ)が 来(く)べき夕(よひ)なり ささがねの 蜘蛛の行ひ 是夕(こよひ)著(しる)しも

とこしへに 君も偶(あ)へやも 漁(いさな)取り 海の浜藻の 寄る時々は

(『日本書紀』)

衣通姫を玉津島社にお祀りしたのは第58代光孝(こうこう)天皇です。天皇の夢枕に姫が現れ、次の歌を詠んだからといわれています。

立ちかえり またもこの世に 跡垂れむ その名うれしき 和歌の浦波

(『古今集序註』)

(※和歌三神を、玉津島明神と住吉明神と天満天神、または衣通姫と柿本人麻呂と山部赤人、とする説もあります)

物語や能・狂言にも

「小野小町(おののこまち)は、いにしへの衣通姫(そとおりひめ)の流(りゅう)なり」
美女として名高い歌人・小野小町を、紀貫之(きのつらゆき)は『古今集仮名序(こきんしゅうかなじょ)』でこのように評しました。
玉津島神社境内には、歌の上達を願う小野小町が同社に参詣した折、袖を掛けて和歌を詠んだという「小野小町袖掛けの塀」がありますが、和歌の神であり、たおやかな美女でもある衣通姫尊(玉津島明神)は能・狂言などで大きな役割を果たしてきました。
能「鸚鵡(おうむ)小町」では、在原業平(ありわらのなりひら)が玉津島社で法楽の舞を舞ったことを知った小野小町が「われも」と玉津島社に参詣し、「草子洗(そうしあらい)小町」や「関寺(せきでら)小町」では衣通姫について語られます。
「和歌の心を種として、和歌の心を種として、玉津島詣で急がん」と謡うのは、狂言『業平餅』の在原業平。謡曲『蟻通(ありどおし)』では紀貫之が、「我、和歌の道に交はるとは申せども、いまだ玉津島の明神へ参らず候ほどに」と玉津島社を目指します。
さらに『源氏物語』や『宇津保物語』『平家物語』『源平盛衰記』『明徳記』などにも登場しています。『平家物語』では平維盛(たいらのこれもり)が、「衣通り姫の神とあらはれたまえる玉津島の明神」と語り、『源氏物語』で紫式部は、紫の上を和歌の浦・玉津島と関わりの深い女性として描きました。紫の上を衣通姫に喩えたのでしょうか。
また樋口一葉は小説『十三夜』の中で、衣通姫と小町、西施(せいし)を美女の代名詞として扱いました。与謝野晶子も、美女が舞う「衣通姫」と題した詩を書いています。

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