玉津島神社

聖武天皇と万葉歌

その他ゆかりの人々

玉津島や和歌の浦を愛して訪れた古今の著名人の中から、幾人かご紹介します。

藤原頼通(992~1074)
平安中期の貴族で藤原道長の長子。摂政・関白・太政大臣を務めた。1048年(永承3年)10月に和歌の浦・吹上浜を遊覧。その旅行記『宇治関白高野山参詣記』が、「和歌」の浦という表記(それまでは「弱」または「若」)の初見とされます。
また頼通に続き、権中納言藤原宗忠、入道前関白藤原忠実、内大臣藤原頼長など、平安貴族の和歌の浦・吹上浜遊覧が続きました。
豊臣秀吉(1536/7~1598)
1585年、紀州を平定した羽柴秀吉は、和歌浦を遊覧して玉津島を参詣し、「打出て 玉津島より なかむれは みとり立そふ 布引の松」と詠みました。貴族や知識階級が憧れ続けた和歌浦・玉津島を訪れて和歌を詠むことで、自分の偉大さを公家たちに納得させたといいます。また「和歌山」という地名は、この時に秀吉が、有名な和歌浦にちなんで名付けたといわれています。
松尾芭蕉(1644~1694)
江戸前期の俳人。1688年、旅の途中で和歌の浦を訪れ、「行く春に 和歌の浦にて 追付たり」  (『笈の小文』)と詠みました。その句碑が玉津島神社東隣に建っています(ただし「行く春を」と表記)
貝原益軒(1630~1714)
江戸時代の本草学者・儒学者。1689年(元禄2年)に和歌の浦を遊覧して「其景趣絶言語」「此浦の佳景、聞きしにまさりて目を驚せり」と称え、玉津島社に参詣して「社の後の小山(奠供山)を伽羅(きゃら)山と号す。社の前の小山を鏡山と云。皆、奇楠の文理のごとき薄黒色の石山にて、一山、只一石也。甚奇観也」と称賛しました(『諸州めぐり南遊紀行』)。
夏目漱石(1867~1916)
明治の英文学者・小説家。1911年(明治44年)、講演のために和歌山を訪問し、和歌の浦に宿泊。一帯を散策、遊覧し、日本初の屋外エレベーターで奠供山に登りました。この時の体験は小説『行人』に描かれています。また、次の俳句も詠みました。

涼しさや 蚊帳の中より 和歌の浦
四国路の 方へなだれる 雲の峰

南方熊楠(1867~1941)
和歌山市生まれの民俗学者・博物学者。「神社合祀反対意見書」の中で、国民気質を涵養する文学と勝景古跡との縁、勝景古跡と神社の密接な関係を指摘し、「例せば、玉津島のごとき、祭神明光浦霊にて、衣通姫を従祀せる由、『神社録』に見え、全く風景を神とし斎けるなり」と記しました。
孫文(1866~1925)
中国の革命家・政治家。英国に留学していた南方熊楠とロンドンで親交を深め、帰国した熊楠と1901年、和歌の浦で会いました。場所は玉津島神社の東隣にあった旅館・芦辺屋です。

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