玉津島神社

聖武天皇と万葉歌

万葉集・御製(ぎょせい)

神代より しかぞ貴き 玉津島山

これは、有名な万葉歌人・山部赤人が詠んだ長歌の一部です。山部赤人や柿本人麻呂はじめ大勢の万葉歌人が詠んだ「玉津島」は、歌枕(うたまくら)として歌人・文人たちの憧れでした。『万葉集』や『古今和歌集』、貴族の私家集などには、玉津島を詠んだ歌が多数収められています。
また江戸時代の歴代の天皇・上皇は、玉津島ゆかりの御製(ぎょせい=和歌)を、巻物「仙洞御所月次奉納和歌(せんとうごしょつきなみほうのうわか)」や、宸筆(しんぴつ=自筆)短冊をまとめた「古今伝授御法楽奉納和歌(こきんでんじゅごほうらくほうのうわか)」として当神社に奉納しました。
それらの歌の中から、いくつかを紹介します。

やすみしし わご大君の常宮(とこみや)と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山

沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮干満ち い隠り行かば 思ほえむかも 
若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

山部赤人(『万葉集』巻6 917~919)

玉津島 見れども飽かず いかにして 包み持ち行かむ 見ぬ人のため

藤原卿(ふじわらのまえつきみ)(『万葉集』巻7 1222)

玉津島 よく見ていませ あをによし 平城(なら)なる人の 待ち問はばいかに

作者未詳(『万葉集』巻7 1215)

玉津島 見てし善けくも 吾は無し 都に行きて 恋ひまく思へば

作者不詳(『万葉集』巻7 1217)

玉津島 磯の浦廻(うらみ)の 真砂にも にほいて行かな 妹も触れけむ

柿本人麻呂(『万葉集』巻9 1799)

人問はば 見ずとやいはむ 玉津島 かすむ入江の 春のあけぼの

二条為氏(『続後撰集』)

よもすがら 照らす蛍を 玉津島 ころもとほりし 光とや思ふ

藤原教長 (『教長集』287)

和歌の浦に 君が言ひおく 言の葉を いかに聞きけん 玉津島姫

藤原基俊 (『基俊集』178)

玉津島 ふかき入江を 漕ぐ舟の うきたる恋も 我はするかな

大伴黒主 (『後撰和歌集』巻11恋3 768)

わたの原 よせくる浪の しばしばも 見まくのほしき 玉津島かも

よみひとしらず(『古今和歌集』巻17雑歌上 912)

玉津島 岸うつ波の 立ちかへり せないでましぬ なごり恋ひしも

藤原顕季(『金葉集』三奏本巻8恋下 485)

玉津島 いその浦やの とまやがた 夢だにみえぬ 波の音かな

藤原隆信(『月詣集』巻3羇旅部 256)

年ふれど 老いもせずして 和歌の浦に いくよになりぬ 玉津島姫

津守国基(『国基集』 153)

玉津島 恋ふる心も 慰みぬ 磐根の松を 面影にして

北村季吟  (『新玉津島後記』)

打出て 玉津島より なかむれは みとり立そふ 布引の松

羽柴秀吉

和歌のうらに 光をそふる 玉津島 はしなき道の 末も頼もし

徳川頼宣

玉津島 かすむ入江の 春はいさ いひしらぬ花の 明ほのゝ色

後西上皇

くもりなき 春のひかりに 玉津嶌 けさよりかすむ 和歌のうら波

桜町天皇

くる春の ひかりのとかに 玉つしま 入江のなみの かすむ朝なき

桃園天皇

やはらくる 光もみえて 玉津しま かしこさあふく 千よのはつ春

後桜町天皇

たちかへり 昔もかすむ 玉津嶌 入江の波の 春のあけほの

光格天皇

玉津嶋 入江のまつの ふかみとり めくみくもらぬ としをかさねて

仁孝天皇

幾千世そ 詞の塵に ましるてふ 光をあふく 玉津嶋姫

霊元上皇

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