玉津島神社

玉津島神社とは

由緒

祭神
稚日女尊(わかひるめのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
衣通姫尊(そとおりひめのみこと)
明光浦霊(あかのうらのみたま)
例祭日
4月13日

玉津島社の創立は上古(じょうこ)ときわめて古く、社伝には「玉津島の神は『上つ世(かみつよ)』から鎮まり坐(ませ)る」とあります。玉津島一帯は玉出島(たまでしま)ともいわれ、いにしえ、満潮時には6つの島山(玉津島山)があたかも玉のように海中に点在していたとされます。そして山部赤人の玉津島讃歌に「神代より然ぞ貴き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきました。

稚日女尊(わかひるめのみこと)は、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子であり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹神です。元よりこの地におわす神で、後世、丹生都比売神(にうつひめのかみ)の御名でも呼ばれています。

息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)は神功(じんぐう)皇后です。皇后が海外出兵された際、玉津島の神(稚日女尊)が非常な霊威をあらわされたため、皇后は稚日女尊を篤く崇拝されました。戦勝また航海安全の御恩に報い、稚日女尊の御分霊を今の和歌山県かつらぎ町天野の地に丹生都比売神としてお鎮めしました。後に皇后ご自身も、卯の年、卯の月に玉津島社に合祀されました。

衣通姫尊(そとおりひめのみこと)は第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で、和歌の道に秀でた絶世の美女でした。第58代光孝(こうこう)天皇の夢枕に衣通姫が現れて和歌の浦の歌を詠まれたため、光孝天皇により当社に合祀されました。以来、衣通姫尊は「和歌三神(わかさんじん)」の一柱(はしら)として、天皇、貴族はもとより広く文人墨客(ぼっかく)から崇められてきました。

明光浦霊(あかのうらのみたま)は聖武天皇により合祀されました。風光佳絶な玉津島は、聖武・称徳・桓武天皇にこよなく愛でられ、三帝はこの地を訪れ滞在されました。いわゆる玉津島行幸(ぎょうこう)です。特に聖武天皇は当社背後の奠供(てんぐ)山(玉津島山の1つ)に登られ、海の眺望に感動し「明光浦(あかのうら)」と名付けました。そして玉津島社に「明光浦霊」を祀り、この美しい景色が荒れることのないよう末永く守れと命じました。

このように、古くから神様がおわす地として崇められてきた玉津島は、聖武天皇の詔(みことのり)によって保護されるようになりました。そして和歌の神・衣通姫尊が祀られたことにより、都から玉津島詣が行われ、天皇御宸筆(しんぴつ)和歌などの奉納がなされてきました。玉津島への信仰は現在にも引き継がれ、多くの人々によって大切に護られて います。

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